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世代間を超えた何か2


「もしもし、いずみだけど」



そう電話をすると

「ああ、なに、珍しい。どうしたの?」


といつもの母の返答が返ってきた。


「あのさ、質問したいことがあるんだけど」


そう話し始め、

私は、母親が昔、指が切れて痛そうだったこと。

私自身も指が切れて、痛いこと。

何か、ストレスが関係しているのではないか?


母が昔、指が痛かった時、何がストレスだったのか?



そう聞いた。

真摯に聞いた。


すると返っていた答えは


「そうだっけ?忘れたねえ」


だった。


ズコ


あんなに痛かったのに???

指が痛くて牛乳パックを開けれずに、よくこぼしてたじゃん!


そう言っても、彼女は


「はて、そうだったっけ?」

としか答えなかった。


「そんな昔のこと、忘れたよ。今は、もう痛くないしねえ。洗剤が悪いんじゃないの?」


「手袋してるから、洗剤じゃないと思う」


そう伝えるが、その後の会話20分間ずっと洗剤だと何度も繰り返していってた。


つまり、私が予想した世代間にまつわる問題は母親から浮上してこなかった。


ただし、その手がかりを少しだけ彼女は漏らした。


「まあ、あの頃はさ、子供を育てるのに必死だったし、お父さんとのこともいろいろあったしね」


と。


この「必死」という言葉に何か引っかかったのだ。


必死って改めて感じを見ると、こえーじゃん。

必ず死ぬってこと???


でも、私も必死なのだ。

何もしていないグータラだけど、心は必死なのだ。


そこで何が必死なんだろう。。。。。


いや、どんな考えが私を必死にさせているのだろう。



そう考えた時、私の中で、必死ということは、感情を抑圧し、無視して、何かを頑張ること。


じゃあ、私のなかで何を頑張ってっるんだろう。


アンサーは、子育て。






じゃあ、子育てにおいて、何の感情を無視してるんだろう???



人間の脳とは、インテンションが定まるといろんな回答をどこからともなく探してくるので

あるトラウマ心理学者が話してる動画を見つけた。


「もしも慢性的な治らない病気があるのであれば、

 そこには、あなたが口でノーといえないから、病気がNOとあなたの代わりに言ってるんですよ」




ふむふむ


私の指の皮膚の慢性的な症状は、ノーを言えないことか。


NOの大事さなんてとっくの昔に知ってたわ!と思うけど、知ってることと、普段の生活でやってるのとは、受験の参考書並みに違う。


参考書を持ってるからって、受験に万全ではなく

(たいてい、持ってることで満足しいちゃうパターン)

参考書を使って、ようやく受験に準備ができてるのと同じで。


さて、私がNoと言えないことは???

と普段の生活で見ていくと、


至る所に、嫌だなと思いつつ、

まあ、子供だから仕方がないとNOの代わりにイエスを言ってる事例が散らばっている。


愛があれば、こんな要求にもいいって言うはずさ。と言ってねじ伏せてる私がいる。


こっりゃ、よくないぞ。


楊貴妃の旦那みたい。

楊貴妃の可愛さに心を奪われて、なんでもえーよえーよと言って国が滅びてしまったように

私も子供の可愛さに心を奪われて、何でもえーよ、えーよと言って、自分の皮膚が滅びてる。



食事が嫌であれば、何だったら食べるんだろうと心を悩ませ

お外で遊びたいと言えば、疲れていても外に連れ出し

自分が大切にしてる瞑想時間も「ママー」と所構わず入ってくるけど、

受け応えてあげないと愛が伝わらないかも!なんて思ってた節あり。



この小さな小さな「プチ譲歩」が私を苦しめてたとは!


バウンダリーが何もないじゃないか!!!


チックショー


自分を失ってるぜえええ



ということで、自分のなかの小さな小さな不満にセンサーをビンビンに立たせて

不満がふわっと起きるたびに、


「これは、ママ好きじゃないよ。なぜなら」

と話すように。


先日の朝も瞑想をしていると

「ママー」と背中に乗って遊びたがる。


可愛いじゃないか。


でも、瞑想ができた朝とできない朝の違いは自分ですごくわかってる。


だから3歳児に言ったわたし。


「今は、ママにとって、とても大事な時間なの。ママの心がハッピーになるための時間。

 いつもみんなの前で笑顔でいたいから、これが終わったら、一緒に遊ぼうね」


と。



娘の反応は、もっとしつこいかと思ったら、

すんなり聞きいれて、一人でレゴで遊び始めてる。


なあんんとおおおおおお!!!


それができて、睡眠しっかりとったら、少しずつ皮膚が回復してきました。


母もNOを言わない人だったなあ。

母もNOよりも、一人で黙々と全てをこなす人だった。


それがどれだけの重荷を背中に背負ってるかに不感症になりながら。


母が全部完璧にやってくれたおかげで

娘は、掃除も洗濯も、お料理も苦手です。


なんちゅーこっちゃ。



そして、今思うんです。


母は自分の大変さをわかってくれる友達がいただろうか?

みんなそうやって来ているだから、私も頑張るんだって思っていたのだろうか?


そして、それをシェアするお友達がいたところで、

シェアだけで終わっていたのでは、ないだろうか?


あの当時の彼女は、

自分の中の不満や辛さやしんどさを、ひっくり返す考え方にするようなヒーリングツールはあったのだろうか?


感情までのシェアはできる。

でも、そのパターンをひっくり返して、新しい自分で生きていく方法を知らなければ

ずっと辛いままだろう。



母が言いました。

「あんたは旦那も優しいし、子供だって可愛い。 

 よく可愛がっているし、おおらかに育ててる。」


そう。


でも、どれだけフィジカルな面が整っても、心が満足していないと私の場合は体に現れる。


先日の女性サミットで6万人だったかな?が参加してた。

その時に、一人のサイコロジストが言ってた。


「私は、全てを持ってた。

 旦那も、家も、子供も、車も、コミュニティも、お金も、名声も、仕事も、全て。


 でも、私のオフィスに訪れるほとんどの女性と同じように、

 私の心の中にある、私、は満足していなかったの。」


そう。

女性は感情の生き物である。


心がさもしいと、何を持っていても満足しない。

感情をシェアした、その先に、自分の立ち位置を好転する機会に私は恵まれてる。


さあ、私の世代で変えよう。

1970年代にようやく女性が人権を取り戻した。


その過渡期で子育てをした私の母は、本当に大変だったのではないか?


人権を与えられてるけど、実質は、今までの業務は変わらないのに、一人ぼっちに放り出された感じ。


彼女たちが頑張ってくれたから、私たちは次の段階へと駒を進めるところに来てるのではないか?


その50年後の2020年代の私たちは、その人権を取り戻した先の在り方に向かっていいのではないか?


そのために、過去を見る。

過去を繰り返すために見るのではなく、

過去を見て未来を定めるために。


私が新しい、今の時代にあった女性としてのあり方を見つけれたら、

この手の皮膚は治るのだろうと信じている。


だから私の信頼しているプラクティショナーを集めて、

IHリトリートを企画。


少人数で、感情をシェアして、セッションをして、自分の立ち位置を変え、自分の望む人生を送る女性を増やす。


そんな思いで企画しました。


お申しこみは9月に入ってから。


一緒に先の未来に進む時間を過ごしましょ。

私が、あの時代の母親と友達だったら、一緒にこの時間を過ごしたい。

そう願う、内容です。



モノクロから虹色へ





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