ピラティスのワークショップに出てビビって自分を裏切った私
マスタートレイナーばかりが集まるワークショップに参加。
今回の先生は、私のメンターが習っている先生。
彼女のワークショップに出れたことは、私にとっては喜びと同時にちょっとビビりました。
1日目は、レッスンの見学に。
いや、本当によかったです。すごいエクササイズもやるんだけど、そのパフォーマンス感より
どこと繋がるからそれが可能になるのかって言うのを確認できたこと。
そして個人的な感覚だけど、
昔の自分を見ている感じがしたレッスンでもありました。
まだまだ出産をしていなくて体の筋肉をガンガンに動かしても大丈夫な頃の自分に。
今は出産をして、髪の毛も抜けて、だるんだるんで
無理をしたら一発でやられちゃうよねっていう身体。
急な動きよりも、ちゃんと体をつなげる動きを意識的にしないと壊しちゃうって思っている。
強さとパワーでやろうとしてる生徒さんを
先生は、ハンズオンをしながら誘い、難しいかもと思われる動きをおこなった後
生徒さんは、「わお、体の開放感が半端ないわ!」と言っていた。
もちろん、ピラティスの中で学んだことは沢山あるのですが、一つ大きく自分について学んだことがありました。
私のハンズオンを見て、
「あなたは、どうしてこのハンズオンをしているの?」
と先生に聞かれました。
「この人の動きの鈍さは、ここの鎖骨の動きでストップされているから
そこを筋肉のあるべき方向に戻したら、自分の筋肉が連動をすると思って」
と答えると、
「なるほど。私とあなたは同じ船に乗っているわ。(同じ物事の見方をしている)
素晴らしいわね。」
と先生に言われた。
そして、チェアのクラスに入った時、
「あなた、指導をして」
と名指しをされました。
チェアには、たくさんのマスターインストラクターがいます。
この2008年から教えてきて、キャンセル待ちになるぐらいのクラスを教えてきた私なのに、
このマスターインストラクターを前に、私は一瞬、ビビったんですよね。
そして、ビビった私は、自分を裏切るような言葉を即座に言いました。
「え?私?私の英語でいいんですか?」と。
今だって英語でガンガン教えている。
そのくせに、この私の発言は、誰かに「あなたでいいのよ」と言ってもらいたいがための発言。
つまり、誰かの許可をもらって初めて自分が自分の力を発揮していいっていう。
何これ?
「いいのよ、やってみましょう」
と言ってくれるかと思いきや、
「じゃあ、やめましょ」
と言って、別の人を選んだ先生。
そりゃそうだ。
ここはマスターのワークショップ。
何かの養成講座ではないのだから。
「幸運の女神はハゲ」ってむかーし聞いたことがある。
幸運の女神が来た時に、それをがっしり受け止めないと、
去った時に、髪の毛を引っ張って取り戻そうと思ってもハゲてるからできないという例え話。
私は、できない人間として自分を扱い、できない人間としての印象を残してしまった。
それは事実ではないのに、どうして私は自分のことをこんなふうに扱ったんだろう。
失敗したとしても、やればよかった。
私が話すことで、もしかしたら私にも生徒さんにも(それがマスターインストラクターたちであれ!)
気づきをもたらせたかもしれないのに。
喉仏から胃にかけて、いやーな感覚になった。
渋柿を食べたような感覚。
自分を裏切るってこんなに嫌な気持ちになるのだろ、本当に嫌悪感だった。
3日間の中で、先生が「誰か指導してみて」って言ったのは後にも先にも
その瞬間だけだった。
たまたま思っただけなのか、
それとも、私に何かを期待したのか。
わからない。
でも、確実に言えることは、
私は私の価値を誰かに評価してもらおうという自分を卑下した態度をとったことだ。
あーやだやだ。
まだ、こんな自分がいることにガッカリ感を覚える。
そして、それ以上に、とてもつもなく悔しかったぜ。
もう絶対にこんな思いを自分に経験させない!
そんな気づきもピラティスの気づきのほかに経験したことでした。
モノクロから虹色へ
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