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「それはお前の問題だろ」という立ち位置

4agreement という本を書いた有名な人がいます。





もしも、誰かが自分に嫌な対応をしてきたとしても

受け取るな、それは、その人の問題であって、君のものではない。


この考え方は、15年前の私に深い驚きをもたらしたのを覚えています。


だから、


「それは私の問題じゃなくて、あなたの問題でしょ」


っていう言葉をよく耳にするようにもなりました。


これは私にとても自由を与えたのを覚えています。


どんな自由か。


それまでの私は、相手がどんな答えを求めているか、

そしてどんな答えだったら、相手は激情しないかっていうのを考えていました。


たとえば、お買い物に行った時、


「〇〇って、高いの?」


と、不思議に思って質問した友人が母親に

「そんな、はしたない事、言うじゃありません」


って言われてる現場を目にした時、


バツが悪そうにする友人と、そこに居合わせた自分がなんか息苦しかったのを覚えています。


それと同時に、なんか、ふと思ったことを口にすると

相手の何か逆鱗に触れるかもしれない

ということを学びました。


ただ、不思議だと思って質問した友人の純粋さが

一気に、はしたないっていう言葉で羞恥心に取って代わった時でした。




それは、枕草子を中学で学んだ時にも思いました。


清少納言の「春は曙」っていうのが有名ですが

私の教科書には、

「みっともなきもの」か「うるさきもの」

みたいな内容で


こういう人はみっともない

こういう人は、うるさくて、本当に嫌気がさす


みたいな内容が書いてあって

結構、人って心の中でこういう事を思うんだーってショックだった思いがあり


そこから、口に出すことはあまり相手に不快な思いをさせないようにしないと

後から、裏でこういうことを密かに思われたり、書かれたり、言われたりするんだなあって。


だからこそ、そんな風に20年以上育ってきた私は ああ、もう何を言われたとしても、その本人が感じてることは本人のものであって

私が恥ずかしい思いをしたり、罪悪感を抱いたりする必要はないんだと思って

ホッとしたんです。



ただ、

私に自由を与えたこの


「あなたの問題でしょ」 っていう言葉。


全てのものと一緒で

その言葉を使う人の意図がどこにあるかで


この言葉って切捨てごめん感が出てくる。(急に江戸時代)




特に友人関係や夫婦関係においては。


私には関係ないわ。

あなたの問題でしょ、私にとやかく言わないで


っていうのと


そんなことがあったんだねえ。

何がそんな気持ちにさせたんだろうねえ。

また気づいたら教えてね。


というのと。





昨日もちょうど長女の学校について話をしていました。


小学一年生になる前に

キンダーっていうプログラムに入るらしい。


そして、Dual Language Immersion というプログラムを見に行ってきた私たち。

スペイン語で全ての教科を学ぶという。


なんだよ、スペイン語で社会、算数、理科を学ぶって。


(スペインにいるわけじゃあるまいし)と思う私に反して

アンドリューは気に入ってる。

アンドリューと一緒に行った長女のゴッドファーザーも気に入ってる。


なんなら、他の友達も学校の教師をしていた友人もこぞって

「私も娘をそこに入れたかった」という。


私は、「そんなまだまだ勉強なんてしなくていいんじゃない?」という立ち位置。


でも目の前の長女は、朝も数字を書いたり文字を書いたり学ぶのが好きな様子。


ふむ。


私の想像してる世界とは裏腹に、娘の現状は楽しそうだ。


渋っている私にアンドリューの一言。

「あのさ、多分、君の躊躇は、君の中の問題が引き起こしてるんじゃない?」


私の中の何かが、この決断に対して躊躇をしていて

目の前の娘のために、と言いつつ、別に要因があるんじゃないか?というアンドリュー



聞いた瞬間に、


「チェ、バレたか」


という気持ちに。


だからと言って、アンドリューは自分でどうにかしろとは言わない。


何があるのか話してみようという。

どんなことに気づいたか、教えてごらんと。


「なんかさ、競争社会に入っちゃうみたいで嫌なんだよね。

 きっと、長女はしっかりと勉強をしそう。

 それが彼女をむやみに背中を押しすぎて、ダメにしちゃわないか心配」


そう話しながら、(あ、これ、私だな)って思った。



自分が勉強で置いてけぼりになる感覚がいやで

一生懸命に勉強するけど、なかなか百点は取れなくて。

でも、周りの子は百点が取れて、どうしてあんなにやったのに、まだ間違えるんだろう。。。


って挫折感とか、

虚無感とか、

いつまで頑張ればいいんだろうっていう徒労感を味わった学生時代。 その心もとなさを娘に投影して

そんな思いにさせたくないって抵抗してるんだなあ。


私、全然目の前の我が子を見ていないじゃん。

自分の過去に対して「もうそんな思いをしなくていいよ」ってあの時の私を囲ってるだけ。



ゲー嫌だわー 痛いわー


そう、私の問題。



もしも、学校でトラブルがあったら


本当に何があって、そのトラブルから何を学ぶのかを冷静に見るよりも、



「ほら!だから、言ったじゃない!」と


自分の傷をかまうかのように、反応をしそうな勢いのやばい母親。



娘じゃなくて結局自分が可愛い母親のパターン。


それを伝えると、

「それはしんどかったな。まあ、長女がそうなるとは限らないから

 見守ってみて、君の過去のような体験をするようであれば、

 また別の学校を考えればいいさ」


と。



もしも、ここでアンドリューに

「ほら、お前の問題じゃないか。一人でちゃんとしてから娘に向き合えよ、時間の無駄だなあ」


とか、言われたら、心のシャッターガッシャンって降りちゃいそう。



この世の自分に降りかかるほとんどのことは、自分の在り方から派生してる。


でも、それを愛を持って促すか、ジャッジして正しさを持って促すか。


同じ「私の問題」でも

そこに向き合う形が違ってくるんです。


そして、きっと、お前の問題だろ。なんでそうなんだよ!と言われてきた人は

きっとそう言われて育ったんだろうな。自分一人でなんとかしようと分離した世界に住むから

きつい言葉が出る。


女性が、それだと子供がきつい。旦那もきつい。

男性が、それだと奥さんがきつい。子供もきつい。


お前の問題、私の問題。


自由になるか、絶望になるか


私は愛を持って使いたい。


人は自分で考える力を持てるけど、

一人でやるときは辛い時があるから。








モノクロから虹色へ





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